「今朝八千代さんにも報告させてもらった通り、花々里《かがり》がやっと、俺のプロポーズを受けてくれたんだ」
そこで、ロールケーキに手を伸ばした私をチラリと見やると「そうだよね?」と同意を求められて。
私はビクッと身体を震わせて「……はい」と小声で答えた。
何これ、何これ。
改めてこんなふうに確認されたら、物凄く恥ずかしいんですけどっ。ロールケーキだって食べづらいじゃないっ!
実はそこが1番不満な気もするけれど、笑われそうなので絶対に言わない。
「おめでとうございます、坊っちゃま、花々里さん」八千代さんが目尻の皺を一層深くして感極まった様子で涙を拭われるのを横目に、私まで思わずウルッときて。
もうこれ、現状のせいで未だに口に入れられないロールケーキへの思いが募りすぎた涙なのか、はたまた普通にこの雰囲気に呑まれてウルルンときてしまったのか、分かんないです。
「それでね、花々里、すごく性急な話なんだけど……この週末、一緒にお母様の所へご報告がてらお見舞いに行かないか?」奇《く》しくも私、今日布団の中でそう出来たらいいなって考えてた。
だけど「わーい」って飛び付いたらみっともないかな?
ソワソワしながら頼綱《よりつな》と八千代さんを見比べたら、2人とも期待に満ちた目で私を見つめていて。
私は恥ずかしくなって声が出せないままにコクコクとうなずいた。
「そこで村陰《むらかげ》さんに結婚のお許しをいただけたら、証人欄の一方は八千代さんにサインをしていただきたいんです。……もう一方の証人欄は――」
そこで頼綱が私に「どうしたい?」と聞いてきて……。
私はロールケーキから視線を外さないままに少し考えてから、「頼綱のお父様に埋めていただきたい」と話した。 再婚なさっているというお母様は無理でも、頼綱のことを――金銭的な部分が主とはいえ――育ててきたお父様には認めていただきたい。ジュエリーショップに着くなり、「ねぇ花々里《かがり》。婚約指輪と結婚指輪、双方を重ね付け出来るデザインとか……良いと思わないかね?」 と頼綱《よりつな》に尋ねられた。 私はちょっと考えて、「あまりごちゃごちゃした凝ったデザインよりも、シンプルな方が好き。そこさえクリアしていたらどんなのでも気にしない、かな」 って答えてから、このこだわりのなさ、女の子としてどうなの!って思ったんだけど――。 どうやら頼綱にはすでに何か思うデザインがあったみたいで、さして気にした風もなく「キミはきっとそう言うだろうと思って、勝手かなと思ったんだけど、実はあらかじめ俺の方でいくつか見繕ってあるんだ」 と微笑んだ。 その言葉を聞いて、「嘘でしょ頼綱さん!」って思ってから、でも考えてみたら頼綱は私と初めて出会った時から私を娶る気満々の発言をしてたっけ、と思い出す。 もしかしたら、私にとっては青天の霹靂《へきれき》みたいな頼綱からのアレコレも、彼の中ではどれもこれも考え抜いた末の結論なのかもしれないなって……今更ながらハッとした。 頼綱が店員さんに声をかけると、いくつかの指輪がジュエリートレイに載せられて運ばれてきて。 その中のひとつを指差した頼綱に、「婚約指輪は雲間から現れる満月を模したというデザインの、コレとかどうかな?」と聞かれた。 頼綱と店員さんに促されるまま、手に取って見させていただいたソレは、台座の部分が雲の切れ間みたいにダイヤの両サイドで透かしになっていて凄く綺麗で。 石が真ん中に1つだけというシンプルさも、私好みだった。 しかもその1石を捕らえた台座が、嵌め込みデザインなのがすごくいいなって思ったの。 私、爪で石を掴むタイプだと、結構あちこちに引っ掛けちゃうおっちょこちょいで。 特に冬なんかセーターの繊維とかを爪によく絡ませるの。 そういう面も含めて、ガチャガチャした私にピッタリの指輪だなって思ったんだけど。
私は小さい頃からずっと、寛道《ひろみち》の私に対するあれこれは全部冗談や嘘っこで、みんな私を揶揄うためのものだと思っていたけれど、もしかしたら私以外のみんなは、寛道のあれこれが最初から全て本気だったって分かっていたのかな? まさかね、って思いながら「ねぇお母さん、寛道って……」って何気なく口火を切ったら、「あの子は小さい頃からずーっと花々里《かがり》ちゃんのこと好きでいてくれたから……。お母さん、花々里ちゃんはいつか寛道くんのお嫁さんになるのかなぁって思ってたくらいよ」って、皆まで言う前に溜め息混じりに淡く微笑まれた。「嘘……」 そうつぶやいたら、頼綱《よりつな》までもが「幼なじみくんの気持ちには俺もすぐに気付いたよ? だからお互いにライバルとして牽制し合っていたつもりなんだけど……。当の花々里はちっとも気付いてなかったね」って苦笑された。 そうして最終的にはお母さんと頼綱が2人して、そんな私が頼綱とこういう関係になれたのは奇跡だって口を揃えるの。「わ、私にだって恋愛感情のひとつやふたつ、あるもん!」 あんまりにも2人が息をそろえたみたいに笑うから、思わず売り言葉に買い言葉でそう言ったら、「ひとつやふたつ? ひとつは〝僕〟とのものとして、もうひとつは誰とかね?」って頼綱《よりつな》に睨まれて。 ひーっ、僕!! こっ、言葉の綾です! ひとつしかありません! それを納得してもらうまでに、お母さんと別れてからも10分近くを要することになるなんて、そのときの私は思いもしませんでした! 頼綱って、時々変に融通が利かなくなる時があって、本当大人気《おとなげ》ないなって思います!*** 病室を出る前、頼綱《よりつな》がお母さんに、「順番が色々前後してしまうんですが、今からお嬢さんと指輪を見に行こうと思います」って言って。 私が発した「えっ!?」って言葉より、お母さんの「まぁ! 素敵っ!」っ
ニコッと笑ってお母さんが手にした箱に近付いたら、お母さんってば「花々里《かがり》ちゃんの魂胆、お母さん、お見通しよ」ってクスッと笑うの。 バレてたか! 思いながらも「き、切るの、その手じゃ大変でしょ?」と、どもりながら迫ると「あら。お母さん、恵方巻《えほうま》きの要領もありかな?って思ってたのに」ってクスクス笑うの。 クゥー。お母さんめ! 丸かじりとかズルすぎる! ……じゃなくて!「そんな〝はしたない〟こと、お母さんにさせられない〝だけ〟だもんっ」 頑張って言い募る私を見て、頼綱《よりつな》が小さくククッと笑って。 私はそれを聞き逃さなかった。 キッ!と頼綱を睨みつけたら、「また買って来てもらうからね」って頭をふんわり撫でられて、その手には乗らないんだから!と思いながらも「いつ?」と聞いてしまう。 その言葉にお母さんと頼綱がふたりして顔を見合わせて大笑いするの。 もぉ! このふたり、一緒にしたらいけない気がする! 四面楚歌《しめんそか》な気分で「むぅー」と唇をとんがらせていたら、お母さんが「お皿とナイフ、そこの棚に入ってるわ。みんなで食べましょう」 って言ってくれて、一気に気持ちが浮上した。 そうとなれば善は急げ! 私はお母さんから箱を受け取ると、指定された吊り戸棚からお皿とナイフを取り出した。 頼綱が1階のカフェでコーヒーを買ってきてくれると言うから「ミルクたっぷりのラテがいい!」とお願いして、ケーキと向かい合う。 城山《しろやま》ロールは1本が26センチの長いロールケーキだから、3人で分けたら一欠片8.5センチちょっと!?とホクホクする。 お皿に乗せても横倒しになりそうにない厚さって、ときめくんですけど! なんて思っていたら、お母さんが「ここ、冷蔵庫もあるし、とりあえず半分にしてからみんなで切り分けない?」と先手を打ってくる。 ぐっ! 持ち主にそう言われたら私の8.5センチ計画
そもそも頼綱《よりつな》の話を聞いたら、頼綱が八千代さんに育てられた、というのは痛いほど伝わってきたし……八千代さんの頼綱への接し方を見ていても、使用人として以上の情愛を感じるもの。 もちろんそれは頼綱の、八千代さんへの接し方にしてもそうで。 だから私も、心の底からそれが1番いいと思えたの。 っていうか、これに関しては、正直私がつべこべ言えた立場じゃないとすら思ったくらい。「分かりました。では頼綱坊っちゃま、花々里《かがり》さん。福田八千代、おふたりの婚姻届の証人欄の件、つつしんでお受けいたします」 八千代さんがやっと承服してくださって、私はホッと胸を撫で下ろして2人の顔を交互に見回した。 そうして満《まん》を持《じ》して言ったの。「とりあえず、紅茶が冷めないうちにケーキ、食べちゃいません?」*** 週末は予定通り頼綱《よりつな》とともにお母さんのお見舞いへ――。 病室に入ると、お母さんは今まさにリハビリから戻ったばかりだったみたいで、イケメン作業療法士《スタッフ》さんに付き添われてベッドに腰掛けている最中だった。 来月には退院予定だけれど、退院後もしばらくはリハビリには通うようになるみたい。 そう説明をして、私たちに軽く会釈をしてスタッフさんが部屋を後にしたのを見計らって、「村陰《むらかげ》さん、ご無沙汰しています」「お母さん、イケメンスタッフさんに抱っこされちゃうとか、めっちゃ緊張したんじゃないっ!?」 頼綱と私、ほぼ同時に――だけど全く違う内容の言葉をお母さんに投げかけた。 私のセリフを聞いた途端、頼綱が不機嫌そうに「イケメン?」とつぶやいて、私は「ひっ」って声を上げて思わず頼綱の横から飛びのいた。 それを見たお母さんが堪えきれないみたいにクスクス笑って。 その、血色のよい顔を見て、私は心底ホッとする。 お母さんはすこぶる元気そうで、入院したばかりの頃は
いつもならすぐに気付いてくれるはずの私の〝熱い眼差し〟を、同意書絡みの不安だと誤解釈しちゃうとか……頼綱らしからぬ失態で、悲しくなります! 結果、何故かおもむろに同意書についてのあれこれの説明が始まってしまって、私、内心「嘘でしょ!」って叫んだの。 ――ねぇ、その話、長くなりますか? 頼綱《よりつな》さんっ! そう叫びたいのは山々だけれど、さすがにこのシリアスな場面でそれはダメだというのだけは分かっているつもりです。*** 頼綱《よりつな》の丁寧な説明によると、未成年が婚姻届を出す際の同意書に関しては、基本的には未成年側の両親〝ふたりとも〟に書いてもらう必要があるんだとか。 それは、例えば両親が離婚していて一緒に住んでいなかったり……また親権がどちらにあるかなども関係なく、らしくて。「えっ!? お父さんもお母さんもって……私、無理だよ?」 思わず口を挟んだら、頼綱が「もちろんそこは大丈夫だよ」と説明を続けてくれた。 例えば離婚後に片親がどこにいるのか所在不明だとか、うちの場合みたいに片親と死別でサインしてもらうのは無理だと言う場合には、婚姻届のその他の欄や同意書に、その旨を明記すればいいみたい。 私は頼綱の言葉に、束の間ロールケーキのことも忘れてホッと胸を撫で下ろした。 そんなわけで、私の場合は「私の婚姻を同意する旨」と一緒に、「お父さんとは死別していて署名がもらえない事」、お母さんに明記してもらうことになるみたい。 ちなみに同意書は婚姻届とは別に作ってもいいみたいだけれど、婚姻届のその他の欄を使うことも出来るんだとか。 頼綱がスマホを操作して同意書のテンプレートも見せてくれたけれど、その他の欄を使わせてもらう方が手っ取り早そうだなって思って。 それに何より――。「その他の欄を使ったら、うちのお母さんも婚姻届にみんなと一緒に名前を連ねることが出来て嬉しいと思うの」 そう言ったら、
「今朝八千代さんにも報告させてもらった通り、花々里《かがり》がやっと、俺のプロポーズを受けてくれたんだ」 そこで、ロールケーキに手を伸ばした私をチラリと見やると「そうだよね?」と同意を求められて。 私はビクッと身体を震わせて「……はい」と小声で答えた。 何これ、何これ。 改めてこんなふうに確認されたら、物凄く恥ずかしいんですけどっ。 ロールケーキだって食べづらいじゃないっ! 実はそこが1番不満な気もするけれど、笑われそうなので絶対に言わない。「おめでとうございます、坊っちゃま、花々里さん」 八千代さんが目尻の皺を一層深くして感極まった様子で涙を拭われるのを横目に、私まで思わずウルッときて。 もうこれ、現状のせいで未だに口に入れられないロールケーキへの思いが募りすぎた涙なのか、はたまた普通にこの雰囲気に呑まれてウルルンときてしまったのか、分かんないです。「それでね、花々里、すごく性急な話なんだけど……この週末、一緒にお母様の所へご報告がてらお見舞いに行かないか?」 奇《く》しくも私、今日布団の中でそう出来たらいいなって考えてた。 だけど「わーい」って飛び付いたらみっともないかな? ソワソワしながら頼綱《よりつな》と八千代さんを見比べたら、2人とも期待に満ちた目で私を見つめていて。 私は恥ずかしくなって声が出せないままにコクコクとうなずいた。「そこで村陰《むらかげ》さんに結婚のお許しをいただけたら、証人欄の一方は八千代さんにサインをしていただきたいんです。……もう一方の証人欄は――」 そこで頼綱が私に「どうしたい?」と聞いてきて……。 私はロールケーキから視線を外さないままに少し考えてから、「頼綱のお父様に埋めていただきたい」と話した。 再婚なさっているというお母様は無理でも、頼綱のことを――金銭的な部分が主とはいえ――育ててきたお父様には認めていただきたい。